プロフィール

Profile

市位尚也(いちい なおや)

柔道整復師

生まれも育ちも京田辺

確か、田辺町から京田辺市に変わったのは私が中学生の頃ですね。ほんとに田辺町だった頃からすごい発展でビックリですよ!
そんな発展する町で私はというと、小さい頃からなんでも仲間に入れてほしいタイプだったので仲のいい友達が少年野球をしていた影響で少年野球チームに入り土日になれば野球という日々でした。
全国大会にも出場するような強豪だったんですよっ!
(始めた理由からして主力かどうかというのはご想像にお任せします)

整骨院との出会い

中学・高校ではバスケットボールをしていましたが、高校時代には、なぜか大事な試合前になると故障してしまうということを繰り返し非常に辛かったです。
その頃、治療の為に通っていたのが整骨院だったんです。整骨院の先生に親身になって治療していただけたのもあり、なんとかバスケットを続けることができました。

いざ、夢に向かって

なぜか小さい頃から「社長になりたい」と漠然とした夢をもっていました(笑)
高校生の時に整骨院の先生にお世話になったということ、母が手に職やでと言って進めてくれたこともあり、この業界に飛び込みました。

楽しくて辛かった学生生活

高校卒業後、大阪にある整骨院で住み込みで働かさせてもらいながら専門学校に通学する日々が始まりました。
一階がクリニック二階が整骨院という大きなところで骨折、脱臼など、とても他では出来ない治療経験を積む事が出来ました。
ただ、お給料はビックリするくらい少なかったですね(汗)
ごはんにロールパン一個の時とかもありました。
寝る直前に一気に食べると空腹感に襲われずに寝れるという技も身につけました(笑)

幼い頃に感じたおもいを胸に

様々な経験を経て、平成19年2月5日に市位整骨院を開院する運びとなりました。
私は、8歳のときに父親を癌でなくしました。その時の病室で最後亡くなるとき、お医者さんが「一応、心臓マッサージしときましょかぁ?」といったのです。
幼いながら、助かる見込みのない人にはそんな言い方するんやぁとショックを受けたのをすごく覚えています。
私は今、この時に感じたおもいをを忘れず、患者様と正直に「真心で向き合う」ということ胸に治療させていただいています。

プロフィール

Profile

大重 琢也(おおしげ たくや)

鍼灸師・柔道整復師

副院長の大重琢也です。

私は鹿児島生まれなのですが、京田辺の「大住」と鹿児島の「大隅」の関係を最近知り、なにかご縁のようなものを感じながらこの地で仕事をさせていただいています。

私が鍼灸の道に入ったきっかけは、父が患った難病でした。
西洋医学で治せないのであれば東洋医学だ!と、直球なのか変化球なのかよく判らない素直さで飛び込みました。

家族を治したい気持ちが原動力となって、知識を積み重ね、柔道整復師の勉強もしたい!と28歳にして再度学校へ通いだしました。
そんな矢先に癌になり、立て続けに両親も癌に冒されてしまいました。
運良く両親ともども克服する事が、できましたが、この時に痛感したことがあります。

大きな病気を前にしたときに、冷静な判断をし続けることは難しく、それが自分自身であればもちろん、大事な人であればあるほど困難になる。

この経験がさらに基礎医学や応急処置対応等を向上させていく新たな原動力となりました。
当院に来てくださってる方もこれから来ていただく方も、きっと誰かの大事な人であるはずです。
そんな皆さんの健康に対してのより良いゲートキーパーとなれるよう院長の市位先生と一層努力していきたいと思っています。